しなやかじゃない
warabanshi-brown.hatenadiary.com
前エントリですごく久しぶりに更新して、ブログって手書きより書いたものを客観的に見られるところがいいなと思った。
私は言葉や文章が好きで、色々なものを読むし、書くのも好きだ。語彙力には自信がある。人は言葉でしか思考できないから、当然思考の量や質にもいくらか自負があるということになる。
けれど、あることを一度言葉にすると固まってしまうということは忘れがちだ。
これは本当に大事なことで、抽象的な感情や感覚はむやみやたらと言葉にしない方がいいときもある。それらは生もので、放っておくと消えてしまうが、無理に固定しようとすると違った手触りになり異なる意味を帯びてしまう。
支えてくれようが励ましてくれようが恋人が代わりに自分の人生を生きてくれるわけじゃないからね。
前エントリで書いた一文だ。
この一言を思いついたとき、してやったりみたいな気持ちだったのだと思う。(いつ思いついたかは忘れたが、書くだいぶ前から温めていた)
恋愛経験が無いと、恋人さえいれば身の回りの事象全てがポジティブに変換されるような、そういった期待をしてしまう。でもそうじゃないよねという違和感、自分の苦しみは自分のもののままだという感じを端的に表せた。
言葉で征服できたような気がした。
それ自体言っている内容は何も間違っていないのだ。でも、この一言が私の意識に場所を占めた途端、石になってしまった。
(意思の誤字ではない)
人に励ましてもらったところで何の解決にもならないし、それは彼氏だろうと同じだよね。何言っても無駄だな。
そんな諦念は徐々に強化されていく。
何言っても無駄なら、尚更そんなしみったれた態度を見せて嫌われるリスクは回避するべきだ。
オフラインではずっとうじうじしてるけど、一人で勝手にしていたくて、人をうじうじに付き合わせるのは忍びないし居たたまれない。
これも、後から見てかなり引っかかったところだ。
だって、「一人で勝手にうじうじしていたい」なんて絶対に嘘じゃん。
うじうじしたいわけないじゃん。
なんというか…しなやかじゃないんだよな。
浮かんでくるネガティブな考えをいちいち表現して、石を生み出しまくって湧き上がってくるもの全部をブロックしている。
恋人が自分の人生を代わりに生きてくれるわけじゃなくても、人間はもっと単純に影響し合えるはずだし、それで自分が変われることもあるんじゃないか。
こうして書いてみると至極当たり前のことだが、個人主義の悪い側面をクローズアップした結果なのかなと思う。
個と個を分けすぎて、その間の風通しが非常に悪い。人に頼ってはいけないと思っている。(これは、昔からプライドだけがバカ高いせいだ。しかも、独立心もあって自分だけでなんとかなるならまだいいけど、それもない。人に頼れず、自力にも頼れず、何もできない)
ちなみに、”一度言葉にすると固まってしまう”というのもこれを書くにあたって思いついたわけではなくて、かなり前から自分の中にあった言葉だ。
それなのに、自ら作った言葉でしなやかさをブロックしていることに気づかなかったのである。
人間、言葉の文字通りの意味を理解するだけじゃ足りないんだなとしみじみ思う。
もう何度も思っているのに、すぐに忘れてしまう。
忘れているときには、同じことを人から言われたり何かに示唆されたりしても、受け止められないのだろう。今回の場合なら、「自分で自分の首を絞めてるだなんて、じゃあ全部私のせいで私が悪いっていうのか」と憤慨するはずだ。
なんて愚かなバイオリズム…
どうか、この感覚だけは、しなやかさだけは忘れずにいられますように。
バイオリズムの使い方、合ってないかな