巨大で無機質で薄暗い公的機関、というか実験施設みたいなところ。
その内部の、鏡を中心とした環状の控室に私たちは待機していた。鏡は一人ずつ区切られていて、隣のスペースに座っている大学の同期に私は話しかけた。
「ねえ、ARなんとかってどういう意味だっけ?」
今日私たちが受ける予定のバイトだ。何かの実験らしく、映像を鑑賞して評価を付けるとか、そんな内容だったと思う。
「!!!」
彼は無言でひっくり返った。呆れて声も出ない、みたいなリアクションだろう。
そいつの隣(私の二つ隣)、私のところからは少しカーブになっている死角から後輩の女の子が顔を出した。いつもにこやかな彼女は、やや苦笑しながら言いにくそうに言葉を発した。
「AVでしたよね」
「あー、そっか!AV試聴ね、AV」
私はしきりに頷いた。それから、鏡の前に置いてあるビニールの巾着に手を伸ばす。
よくホテルにあるアメニティグッズが入っているような袋だ。
中には実際にアメニティグッズのようなものが入っている。高級そうな乳液やクリームの類のチューブがちらほら。
その中のニベアの缶に似たものだったか、どれかが端末になっていて、バイトの順番が来たらバイブして知らせるようになっている。(と、聞いている)
ほどなくして、端末が震えながら音を発し始めた。
エッジの効いたドラムの音が刻むリズム。
聞き覚えのあるフレーズと歌声が流れる。
PerfumeのTOKYO GIRLだ。
私の大好きなPerfume。得体の知れない静寂に満たされた、いるだけで不安を誘うこの場所でそれは少し私をほっとさせた。
けれど、すぐに新たな不安が襲ってくる。
「えっと…どこ行けばいいのかな」
とりあえず立ち上がって周囲を見渡すものの、目的のバイトの場所がわからない。
右の方にぽっかりと空いている出入口を抜けてみる。その先は、広いロビーのようなところだった。天井は高いが、やはり薄暗い。
環状のフロントがある。その中にも外にも、人がちらほら。
ロビーに響き渡るTOKYO GIRLに私は焦った。どうやって止めるんだ、これ。
慌てて巾着を漁っていると、職員らしきおばさんが近づいてきた。
なんだか、こういうところで働いている人のようには見えない、悪くいえば野暮ったい印象の中年女性。
訝しげな視線を向けてくるので、バイトの順番が来たが場所がわからない旨を説明した。
「ああ、それだったら…」
彼女が誘導して、ロビーから奥まったところにある一室へ私を入れた。
薄暗い施設の中でもさらに暗く、出入口から左の方へ六畳ほどの空間が伸びている。つるっとした黒い壁。何をするところなのか全く不明。
そのとき、職員のおばさんに誰かが話しかけた。その人も似た感じの中年女性。
「ああ、今ARの子が来て…」
横を向いて話しながら、彼女は扉を閉めた。
そのまま、外部の音も光も一切が遮られた空間に取り残される。
え、待って、閉じ込められた?
ガチャガチャと扉を探るが、施錠されているようで重い。
グルグルと部屋を見回す。何も無い。暗い。
パニックになって狂ったように扉をノックした。蹴った。
手応えは無い。
埃の積もった扉の黒い表面を乱暴に拭うと、ぼやけた赤いランプが露わになった。
火災報知器だ。
かなり古びている。作動するかはわからないが、ボタンを押すべきか。
迷っていると、扉の向こうでガチャガチャと音がした。
良かった、誰か来てくれた!
安堵していると、扉が開いた。
そこにいたのは、白衣を羽織った野蛮な雰囲気の女医、のような人。
彼女が私を見て、いきなり切り出した。
「1ミリか2ミリくらい顎の骨を削らなきゃいけないんだけど、手術ってほどじゃないしまあちょっとした治療を…」
は?骨を削る??
「え、ちょっと、どういうことですか?」
「当たり前だろう、客の相手をするんだから」
は??ちょっと待って、何それ??
「AVの試聴じゃないんですか?」
「試聴?何言ってんだ。そんなのが金になるわけないだろう。出演だよ」
は???
待って
待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って
「え、そういうことだったら、できないです。」
「今さらそれは通らないよ」
え
「出てもらうからね」
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
そのとき、さっきの部屋から誰かが転がり出てきた。
一緒に控室にいた子ではないが、やはり後輩の女子。
何故か濡れた髪を振り乱して、ぐっと女医を睨みつけた。
私は彼女に駆け寄った。
「ねえちょっと聞いた!?」
彼女は私に目もくれず、素早く走り出した。
物凄く速い。
目指しているのが、半分くらいシャッターのかかった広い通用口だというのがわかった。
私も慌てて追いかけるが、速度で全く敵わない。
大事なのは、自分で自分の身を守る力。
そんな言葉が頭を過る。
無情にシャッターが下り始める。彼女は凄まじい気迫でシャッターの隙間にかじりつき、こじ開けようともがく。
ああ、彼女はちゃんと実行しているんだな。
絶体絶命のピンチに陥っても、冷静に、一瞬の躊躇も無く、行動に出る。
甘ったれて育った私とは全然違う。
こんな状況でさえ、なんとなく、どうにかなるんじゃないかという思いがあった。
ほとほと自分が情けない。
閉まる寸前のシャッターにあともう少しで追いつきそうだ。
さっき見た夢の話。