うろうろ日記

つまらないので読まない方がいいと思います

オムニバス

日本近代文学には、私小説という独特のジャンルがある。

作者自身の生活を描いた文学作品のことだ。

文学史的には、絵空事のストーリーを楽しむロマン主義を否定する形で生じたリアリズム写実主義)の極北に相当する。あらゆる空想的要素・虚構的要素を排して、実際にあった事実を示すことで、「真実を描く」という芸術の目的を達成しようとした。結果的に、ひたすら作者の実体験に範囲を限定して、身辺や自分自身のことを語ることが多い。描写も、客観描写よりも内面描写を中心とすることが多い。(wikipediaより)

ただ、ありのままの日常について書いているだけではつまらないから、波乱万丈で面白い小説にするために、わざと人生を破滅させる酔狂な輩もいたとか。

(これは美の追求のために正義すら省みない芸術の危険性である、みたいな論述を前したことがある)

 

私は今それに近づいていると思う。

ブログを更新したいな。でもそう毎日書くこともない。せめて今日の聴いた音楽の記録だけでもしておきたい。今日聴いたのは、、

 

あ、今日何も聴いてない。

 

……

 

………

 

今日は何処へ行くから、何か書けそうなことを見つけてこないと。

いつの間にかそれを強いていた。わずか一週間で。

でも今日は本当に何も無くて、ATMで残高照会をし今月の引き落としのことを考えて憂鬱になったくらいしかないから、普段の思考の切れ端を細々と綴っていこうと思います。うろうろオムニバス。

 

00年代の柴田淳は現在の我々か

 

柴田淳という女性シンガーソングライターがいる。

昔、父がレンタルCD屋で借りてダビングしたアルバムCDがいくつか家にあって、小学生の頃、義務か何かのようにずっと聴いていた。

 

自分で音楽を探す能力がまだ無かったのかもしれない。オーディオプレイヤーどころか、自分用のCDラジカセを買ってもらってヤッフーみたいな時代だったから、自室でヘッドホンでそれらのCD-Rを来る日も聴いていた。

ダビングのCD-Rっていうところが重要。それくらいの距離感だった。生の情報は何もないけど、音楽だけが単体で浮かんでいた。

 

でもいつだったか、柴田淳Wikipediaを見たときがあった。

その中に「新曲をリリースするペースが遅いわりにブログを頻繁に更新するので批判された」といったような文章があった。

最近ふと思い出したんだけれども、それって今の私たちじゃないだろうか。

 

LINEの返信や進捗メールはしないくせにツイッターに浮上すると、友人知人からおおいにディスられるだろう。高度な監視社会の標的は現在、芸能人のみならず一般人にまで波及している。

 

文章にしたら「そんな当たり前のこと何を今さら」って感じになったな。

 

スーパー飛蚊症

 

時々、視界の両端に眩しい火花のようなものがいくつもチカチカッと現れることがある。

あれは何だろう。立ち眩みの一種なのかな?

私はスーパー飛蚊症と呼んでいる。

普通の飛蚊症は微生物型だけど、スーパー飛蚊症は火花なんです。ちょっとプレミアム

 

 精神分析

 

この前、「君パソコン苦手だよね」と言われた。

自分でも得意だとは思っていなかったが、言われてまあまあへこんだ。

でも、その人は続けて「パソコンは単純な命令を下せばその通りに動くものだから、それをしないってことは強い自我があるということ。そこを開発していけば面白くなるんじゃないかな」と言った。

前向きな解釈で言ってはくれているが、同じようなことを(良い意味でも悪い意味でも)人生で何度も言われたことがある。私の自我の強さ、不器用さの影響は多岐にわたる。面倒なので詳細は省く。

 

だけど、こういう客観的かつ希望的な分析はけっこう励みになるんだよね。

 

実用的かつ世知辛い角度から言えば、私はただただ「マルチタスクができない」「コミュ力が無い」「人に合わせられない」ようなおよそ社会に必要とされない人間だ。自分で書いていて心が痛い。腹パンされたみたいな感じする。

 

でもそれを精神科学的に言えば、自我が強めで集団生活には適さないかもしれないが、それを生かす方法もあるということだ。「その性質自体に良いも悪いもないんだよ」という意味が含まれているのが何よりも救い。

ただの一個人の発言を精神科学的などと書くのは語弊があるけど、精神科医にも似たようなことを言われた経験があるので括った。

 

私は一度、過眠症の相談で精神科にかかったことがある。(3、4回でバックレた)

そのときに、「あなたは一度に複数のことをやるのが苦手な性質ですが、一つのことを極めることが向いています」と言われた。

「私は運動神経が悪くて」という話をしたときに、こんな問答をした。

 

「逆上がりはできる?」

「はあ。逆上がりはできます」

「走ったりするのは?」

「短距離だけなら得意でした」

「じゃあ、それは運動神経が悪いのではなく、一度に複数のことをやるのが苦手ということです」

目から鱗だった。私は運動神経が無いんだと、小学校低学年の体育の授業で既に絶望していた。でも実はそうではなかったらしい。マルチタスクが苦手だから、複数のことに気を配らなければならない球技ができなかったらしい。

 

別にそれがわかったからといって急にスポーツ万能になるはずないけど、すごく新鮮だった。そういう話をもっと聞かせて欲しかった。劣等感と罪悪感にずぶずぶに浸かって自分がわからない私に、客観的に自らを把握する術を伝授して欲しかった。

 

でも一向に過眠症が治せないし、何より毎週シーンとした診察室でサシで先生と対話するのが普通にめっちゃつらかったからすぐにやめてしまった。

その後過眠症は自然に消滅したり時々思い出したように再発したりする。