うろうろ日記

つまらないので読まない方がいいと思います

結婚を恋愛の延長線上にしか捉えられない不自然さ

ほとんどの人が恋愛を経て結婚するのはどうしてだろう。

恋愛と結婚って全く別物なんじゃないか?

わたしが感じてるこの違和感を伝えるのはちょっと難しい。いい例えがないかと考えるけど、一番最初に思いついたのが

「例えるなら、オオトビネズミをカンガルーと同一視するようなもの」

だった。

いやわかんねえよ!!!

オオトビネズミ、検索してもらえばわかると思うけど、砂漠のミッキーマウスとか言われています。

しかし私は小さい頃分厚い図鑑を眺めるのが好きな子供で、躍動感のあるオオトビネズミの絵を見たとき「なにこれカンガルー!」と思いました。ちっちゃいカンガルーそのものです。

でも、面白いことにカンガルーネズミっていうのもまた別種でいるんだよね!

いや絶対オオトビネズミの方がカンガルーでしょ!なにこれウケる!!(少なくとも学研の図鑑「動物」では圧倒的にオオトビネズミの方がカンガルー似だった)

 

話が逸れてしまった。

 

結婚っていうのは、夫婦が支え合って生活を共にするということで、そこに恋愛的要素は必要ない。たぶん結婚相手に必要なのは、その人のために一生奉仕してもいいと思える要素で、それはドキドキするとか甘酸っぱい恋心みたいなものとは関係ないんじゃないかと思う。

 

なのに、なんで結婚する前に付き合うことが当たり前の条件としてまかり通っているんだろう。

勿論少数派でもお見合いという方法はあって、お見合いをして両者の合意があってからの「結婚を前提とした交際」は理にかなっていると思う。相手をよく知るための準備期間みたいなものとして。

でもそれは恋愛とは根本的に違う気がする

 

そう考えると、結婚は人にもよるけど多くの場合人生に不可欠なものだと思う。

一人より二人の方が、お互いを補い合って生きていけるし。(それが必ずしも結婚でなくていいことは言うまでもない。三人でも四人でも、上手くいくならそういう共同生活があってもいいし)

 

でも、恋愛ってなんなんだ?なんのために存在してるの?

結婚という人生においての重要なシステムへ移行するための架け橋として捉えるならそれは大事かもしれないけれど、結婚と恋愛を分離して捉えると、恋愛の存在意義がどんどんわからなくなっていく。

 

人と深く関わる体験、人付き合いを学ぶため?

 

それ恋愛じゃなくてよくない?友達でも知り合いでも一緒にプロジェクトを推進する目メンバーでもなんでもよくない?

 

性欲解消のため?イチャイチャしたいから?

 

それセフレでもよくない?

 

少女漫画みたいにドキドキしたいから?キラキラした理想の青春を送りたいから?

 

そんなものそうそう存在しなくない?ていうかそれ…

アクセサリーなんじゃない??

 

冷静に考えれば恋愛って本当になんのためにあるのか、得体が知れない。

つまるところオオカミ少女と黒王子の佐田の有名な台詞「あいつらが好きなのは彼氏彼女がいてこんなに充実してる!っていう自分、相手のことなんて大して好きじゃねーよ」が真理なのではと

つまり友達とセフレが合体した都合の良い存在ということなのだ

それをセフレと呼んだり認識するのは、なんか露骨で世間体も悪いから恋愛という美化したイメージで覆っているんじゃないか…

 

まあ恋愛のことなんてろくろくわかっちゃいないおいらがえらそうに断言できることでもないけど…

ネットでよくある意中の異性を落とすテクニックの記事とか、女子向け雑誌の振る舞い方の指南とか、読むと

めんどくせーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

 

って白目を剥いて発狂しそうになる。

 

めんどくさいっていうか、めんどくさいと普通に嫌が半々みたいな、そんな感じ。

恋愛をしたがらないゆとりさとり世代とかよく言われているけど、

一万年だか何万年だかの人間の歴史上で、恋愛は実は無意味だということに初めて気づいた最先端の世代なんじゃないか?

見えなければ気まずさはゼロ

今日は朝から雨降りだった。

天候に関係なく駅まではどうしても自転車で行きたいので、私はレインコートを着て傘を持たず出かけた。

そして歩くときもそのままの激ダサな格好で傘を差さず歩いた。

 

レインコートを着たことのある人ならわかると思うんですけど、レインコートのフードってめちゃくちゃ扱いづらいんだよね。

風で脱げないように大抵は紐で調節できるようになってるけど、紐を引き絞ろうが脱げるときは脱げるし、さもなくば視界が遮られるし、例外なく顔面は濡れる。

 

で、歩いているときフードの紐を調節したら、大方の視界が消えて右目だけになりました。

私は相当な不同視で、左はそこそこ見えて右がかなり低めの視力です。

なので右目だけで見ると、景色がすごくぼんやりしている。

建物とか木とか人とかの判別はできるけど、人の顔は肌色の絵具で塗りつぶしたみたいになって、目鼻立ちなどまるでわからない。

 

だけど、その状態で歩いていると、世界が印象派の絵画みたいですごく心地いいことに気づきました。

(良いわけないけど。。ガチャ目とか不同視で検索してすごく気落ちしたばかりだけど。)

なんか、現実感がほどよく希薄になってきて、本当に気持ちいいんです。

はっきり見えないって、けっこういいもんだね。(良いわけ(ry

 

さらにすごい発見をしました。

すごく狭い道で人とすれ違っても、顔が全然見えないから全く気まずくない。

そうか、見えなければ気まずくないのか!

そこに人がいることはわかっても、位置関係まで見えてても、顔さえ見えなければ気まずくないのか。

 

でもやっぱり視力は上げたいので、視力トレーニング毎日やります。

 

不同視って、カッコよく言うと視力オッドアイかな。

厨二乙って言われるのが関の山だな。

 

 

 

確かに朝日の偏向報道っぷりはひどかった。でも…

こんにちは。

このようなタイトルでブログを書くということは、いわゆるネットのそういう界隈に片足を突っ込むことであるので、多少緊張しています。いや、そうでもないけど。

 

家では日曜の朝にだいたいサンデーモーニングが流れています。

前回の放送でテロ等準備罪(通称共謀罪)法案のことが取り上げられていましたね。

(テロ等準備罪法案の内容や起きていることの概要については面倒なので省きます)

私はあれを観てショッキングやーと思ったし、政府マジ許せんと思いました。率直に。

 

極め付けはスノーデンのくだりです。

米国のCIAが一般市民を含む全米の人間のデータを受信し、覗き見て、個人情報を暴いているという有名なやつです。

勿論そのことは知っていましたし、そのシステムが日本にも提供されていて、米軍基地から日本人のSNSやメールのデータが吸い上げられているという話も私は初耳ではなかったように思います。

 

しかし、それに対する政府の会見…

「そのような情報が出ていることは知っているが、文書の出所は不明で、政府としてはコメントを控えたい。」

 

まあそうだな、お前らはいつもそうだ。いつもするりと上手いこと逃げて、絶対に真正面から質問に答えようとはしない。

国会中継なんかも、たまに見るとその答弁は笑っちゃうくらいだらだらと長ったらしくて回りくどくて意味がわかりづらくて、煙に巻いて反論をしにくくしている。

政治家ってそういうものなんでしょうね。いったん言質を取られたらおしまいだから、なるべく抽象的に曖昧に、はっきりした言葉選びを避けて慎重にものを言う。

 

彼らにも色々事情があるんだろうけど、私は結構ムカつきました。

結局やってるの?やってないの?どっちなんだよ

サンデーモーニングのコメンテーターも、それが(そのデータ暴きシステムが日本にも提供されている)事実なら、政府が違法行為をしているという大変なことなんだから、本来ならもっと厳しく徹底的に追及されるべきと言っておらして

わしもほんそれほんそれ思いましたわ。

 

テロ等準備罪法案だって、組織的に犯罪を計画した時点で、複数人の間でそれが合意された時点で処罰されるというとんでもない法案らしくて。

つまり極端に言えば「明日あたり強盗するぜ」っていうメールのやり取りをしただけで逮捕、ということに繋がりかねないんだとか。

それはやっぱりちょっと極端というか、現時点でそこまで至るかというと怪しいとは思うけどね。

意訳すると心の中で思うことさえ犯罪の対象になるわけです。

こらあかんわ…

 

……

 

しかし、ツイッターを見てみると

朝日の偏向報道をバッシングしまくるツイートが多数見受けられました。

「反対意見も取り上げるべき」「一貫して共謀罪という恣意的なワードを使い続け、明らかに政府が悪いと視聴者に印象づけるような偏った報道をしている」

うん、なるほどその通りだ。

 

私は一旦そこでちょっと冷静になりました。

憤りは鞘に収めました。

 

私はサンデーモーニングのコメンテーターたちの意見には賛同こそすれど、偏屈なじじい同士で結束し全員がまったく同じ論調で文句を言い合うという構図(言い方悪くてすみません)は確かにちょっと良くないなと思いました。

これ、その日テロ等準備罪ってそもそも原文はどういった感じなの?と思って調べていく中で見つけた記事なのですが

テロ準備罪法案に見る〜マスコミの偏向報道

 

朝日は新聞テレビともにあちゃーって感じですね、やっちまってるなーって。

私は(ネットで育った)世代的なこともあって新聞をもともと信用していないんですけど、家が読売を取っているのはなかなか賢い選択かもって見直しました。

 

今朝もワイドスクランブルをたまたま観ていて、仙台にいじめが多いということが取り上げられていたときのスタジオの様子がなかなか胸糞悪かったです。

たしかにワイドショーであってニュースではないので、ニュースよりは縛りは緩いというか、スタジオの人間が意見を言うことは許される状況かもしれない。

 

でも、みんな同じ方向性のことしか言わない。誰かが感情的に「三人も自殺者が出てるというのに仙台市教育委員会は一体何をやっているんだ!!学校は何をやっているんだ!!」と怒りを露わにし皆がそれにうんうん頷いている。

なんていうか、全然生産的じゃない空間。

感情的過ぎるのがたぶん一番良くなくて、それはもはや意見ですならくて感想だし、一方的に仙台市教委や学校を槍玉に挙げて叩いているだけで建設的じゃない。

 

これは私見なので余談ですけど、そもそも教育委員会がいじめに介入して解決することなんて不可能だと思う。だって現場にいないんだから。彼らにはどうしようもできないよ。

でも現場にいる教師や校長が解決できるかと言ったらそれもたぶん難しい。

子供には子供独自の世界観とルールがあって、教室の魔力に囚われていて抜け出せないから、大人がどうこうできることでもない。つまり義務教育を解体するしかない。

 

それはさておいて話を戻すと、なにこの番組やば~と思ってチャンネルを確認すると案の定テレ朝だったわけです。

とはいえど私は普段民放のワイドショーは観ないので、他の局はまともかどうかとかは知りません。

ただ、朝日は結構やばいなという結論に至りました。

 

でも…

偏向報道偏向報道だけど、ツイッター民もツイッター民だ。

さきほど書いた朝日の偏向報道をバッシングしている人々はもっとやばかった。

朝日の偏向を非難しているくせに、自分たちは自分たちで結束して罵倒しかしない、というか、朝日のいうことなすことなんでもかんでもボコボコにしている。

ディスることに必死になりすぎてもはや何を言っているかわからないよってかそれは反論にすらなっていないよ

 

テロ等準備罪法案のような法律ができてしまえば、もの言う市民が委縮してしまう。国の方針に反対するという発想すらなくなってしまい、民主主義は成り立たなくなる」

という森達也っちの話には

「そもそも問題が無ければ異を唱える必要ありません」

??

それ以前のこと、問題があるかどうかの判断ができなくなるってことを森さんは言っているんだけど…

 

さきほどの「日本に監視システムが提供されていたかもしれないのにそれが厳しく追及されないのはやばい」には

「憶測でしかないのに問題にすべきだと主張。陰謀論を国会でやる必要は無い」

 

可能性があるという時点でそれを明らかにするという姿勢が無いと、もっと深刻な問題も色々看過されるようになってしまう。それを一国の政府に許してはならない

ということでしょ?しかも何故陰謀論などと決めつけられるんだ…

 

「どんな人も妄想を抱かないことはない、行動に移さなければ犯罪にはならない。人は何を考えても自由」

には

「あなたたちはそういう妄想するかもしれないけど、普通の人は犯罪やテロをする妄想なんてしませんよ」

 

たしかに誰もが自分は大丈夫だと思っているかもしれない。

だけど人はいつなんどき、どう変わってしまうかわからないし、自分がこの先絶対に犯罪をしないとは言い切れないのに。

もっと言えば、万が一自分は正気を保てたとして、自分の意思とは無関係に犯罪に巻き込まれることだってあるかもしれない。

そんなときに政府や警察や、権力側にいいように誘導されて冤罪を認めさせられる。そうなってはならない

現時点でさえ、そうして正義を行うはずの側に濡れ衣を着せられ人生を台無しにされた人がどれほどいるだろうか。

 

この法律が公布されるということは、権力を持つ人々や機関にもっと有利に運べる条件を許してしまうということなのではないでしょうか。

 

 

実際公布されてから何年か、十何年かは大丈夫かもしれない。それこそツイッター民の言う憶測や過激な陰謀論に過ぎないかもしれない(ツイッター民という名称で括ってごめんなさい)

でもいつ悪用されるようになるかはわからないし、そうなったらもう手遅れだ。

 

まあなんていうかなー、それよりなにより、自分は善良な市民であるとたかをくくっていられるのが、私個人的には信じられない。

じゃあ一体どこからが悪人でどこまでが善人なの?犯罪をすりゃ悪人で、しない意志を持っていれば善人でいられるの?

 

悪いことしてない一般人なんだから監視されたって平気ーって言ってる人が少なからずいてびっくりしたよ。

プライバシーという概念が無いんだろうか。

 

長々と失礼しました。私が言いたいことは以上です。

 

最後に

この前「今夜比べてみました」っていう番組でさっしーが言ってたこと

「自分が芸能人だからとかは関係なく、外に出れば誰もが隠し撮りされる危険に晒されているから、私は撮られてても強気で、『お前が見てるってわかってるぞ』という態度でトイレとかでもカッコつけます」

が面白かったので

私もそんな気持ちでこの記事を書きました。

 

ここまで読んで下さった方、もしいらっしゃれば、ありがとうございます。 

 

情緒に取り憑かれた化物

この前映画ワイルドを観てからというものの、ありとあらゆるものに情緒を見出し「情緒…」と呟くくせがついてしまった。

 

実家の冷蔵庫は情緒

 

風呂上がりに台所で立ったままコーヒー牛乳を飲んでいたとき、目の前の冷蔵庫をしげしげと眺めつくづく情緒だなぁと思った。

日本の家庭には一般的な風景だと思うのだが、冷蔵庫の扉にはマグネットで色々なものが貼られている。

 

プリントアウトされた「これ一つで料理の幅が広がる万能ソースのレシピ」(絶対見てない)

 

読売新聞から提供される展覧会等の招待券(期限切れ)

 

キッチンタイマー(使っているのを見たことがない)

 

それが本来の用途をほとんど果たしてないあたりがまた、典型的なノスタルジーの一要素を切り取って展示しているかのように感じられて、より一層情緒なのだ。

 

とかいう文章を一か月かそれ以上前に下書きに残していた。

当時は他にもいろんなものに情緒を見出していたに違いないが、もはや何も覚えていない。

 

最近食べながらパソコンでネットフリックスを観るのが習慣になっている。

さっきキーボードの上の揚げ物を落としてしまったので、今エンターが脂っぽい。

 

 

カチャカチャカチャ…ッターン(脂)

 

itun.es

itun.es

 

最近ヘビロテしてたやつ。

SINGはアッシュ(スカーレット・ヨハンソン)が歌うSet It All Freeが一番好きなんだけど、この曲とミーナ(トリー・ケリー)のDon`t you worry `bout a thingは聴くと映画での二人を思い出してうるっとくる。が、間の性悪ネズミが歌う古臭いオールディーズみたいなやつは冒頭でイラッとしてしまうのでつい飛ばす。

映画館で二連敗した話(ラ・ラ・ランド/サバイバルファミリー)

今月に入って二回映画を観ましたが、予想に反してどちらも期待外れでした。

 

ラ・ラ・ランド

 

言わずと知れた話題作、絶賛の嵐。

肯定的な意見しか聞いたことない。これは観とかなあかんやろってことで行ったわけですが。

めちゃくちゃつまんなかった。

映画を観終わるとだいたい共感できる批評や感想を求めてみるわけですが、見た感じこれだけだったかな

realsound.jp

私はジャズにもミュージカルにも詳しくないので、セブのピアノがモダンジャズではないこととかミュージカル映画の主人公がミュージカル俳優志望であるのは構造矛盾だとかはわからないけど。

 

「脚本が、何が言いたいか全くわからない。最初に一発強烈なカマしがあり、客がパンチドランキング効果でクラクラきているうちに、適当で稚拙な脚本/物語が進み、エンディングに、取ってつけたような乱暴などんでん返しがあるだけの、粗悪ドラッグ」

ほんとこれ。ほんとこれだった。

脚本があまりにもひどかった。最初のハイウェイとパーティーに向かうシーンだけが良くて、後はものすごく退屈でした。プラネタリウムで宙を舞うあたりで飽きてしまった。

ミアがオーディションで歌いだすシーンがどうやら感動の絶頂らしいけど、なんだかなぁ、そこは「ミュージカル映画ってずるいよな」っていう感想しか無かったです。 

 

そりゃあ、あそこでああいう歌を歌えばいい感じになるに決まってるじゃん。

私は全然良いと思えなかったけど。矛盾しているようだけど、作品それ自体の薄っぺらさをミュージカルという手法でごまかしているように感じてならなかった。

 

あと、これは一緒に観た人が言っていたことですが、音楽の構成とかアレンジをもうちょっと工夫して欲しかった。

確かにちょっと単調というか、バリエーションに乏しいなとは思いました。

 

この映画、「夢を追う全ての人へのエール」みたいなキャッチコピーがあるけど、本当かよ?って思ってしまう。キャッチコピーはあくまでキャッチコピーだし、監督が言ったことじゃないんだろうけど…

夢を追う人への、っていうより、夢を追うことに憧れていた人が主人公になりきって夢を見るもの、に思えてならなかった。

 

 サバイバルファミリー

 

ある日突然全ての電気(電池を含む)が使えなくなり、大混乱の東京に住んでいた一家が鹿児島を目指し自転車で旅をする。

 

以前映画館で見た予告が面白そうで期待していたんだけど、これも惨敗だった。

監督は有名な「スウィングガールズ」や「ウォーターボーイズ」の矢口史靖氏。

コメディ系では高い評価を受けてますよね。

でも、こういうシリアスな作品は向いてなかったんじゃないの?

 

驚くのが圧倒的な音楽の無さ。

あるブログで「測ってみたら、開始40分間音楽が無かった」と言われていたのでそうなんだろうけど、体感的には一時間以上は無かった。

恐らく、実録風の演出にしたかったんだと思います。歩いたり走ったりしながら撮っているような、ガタガタ揺れ動くカメラワークが多かったことがそれを醸し出していた。

 

でもこれは大失敗だよ…

 

音楽の無い映画がいかに苦痛かっていう実験映画か?と半ば本気で思ってしまったほど。本当に、観ててつらい。音楽が無いと、びっくりするほど映画に入り込めない。

ものすごく不自然で、違和感しかない。

 

以前「沈黙ーサイレンスー」を見たときに、(あれも音楽がほとんどない映画なんだれど)本当に真に迫ったものに音楽は不要なんだな、とかしみじみ思ったことがあります。が、あれは例外中の例外で、遠藤周作の沈黙だからこそ、あれだけ重いテーマと特殊な内容だからこそ必要な演出だったんだなと改めて思いました。

エンドロールすら音楽が無くて自然の音のアンビエントだけだったけど、沈黙はあれで大正解だし、下手にMを入れたらチープで見てられなかったと思います。

 

サバイバルファミリーは、電気が無くなった東京で何日か粘るものの、鹿児島に行くと決めてから後はずっと旅のシーン。

それがしばらくだらだら続くのがなかなか退屈です。もうちょっとダイジェスト風にして(それこそ音楽を流しながら)ざっくりまとめて欲しかったなと思うところ。

 

で、結局この映画の主題はなんなのかと旅の途中大阪に着いたあたりで考えたわけですが。まさか、「電気に頼りすぎる現代文明への批判」とか「不便だからこそ助け合い家族の絆が芽生える」とかじゃないだろうな??

たぶんそれらしい。

 

いやわかるけど、言わんとすることがそれなら、わかるけど…

それをここまで、ありありとあからさまに提示されると、あまりにも陳腐というか。それではちょっとクサすぎる。

「いかに電気に頼りすぎることが危険か実感できました!便利ではないけれど、人と助け合って生きることの素晴らしさ、人の温かみがわかりました!」

みたいな、学校の演劇鑑賞会の感想文のような気持ちには、到底なれない。

 

もしかして私が気づけなかっただけで、より深い何かが潜んでいたのだろうか?

そうであればいいんだけど。

 

とはいえ

 

この二つの映画は好きになれなかったけれど、映画館に観に行ったことは後悔していません。タイトルには二連敗とか書いたけど、よりタイトルらしくキャッチーにしてみただけで。

映画が良かろうが悪かろうが、「これが観たい」という意志を持って映画館で観ることには価値があると思っています。

「1800円(1500円)無駄になるかも…」なんて思わずに、自分が観たいと思ったのなら絶対行った方がいいです。

 

なんで日本では恋人がいないと劣等感を感じないといけないの?

先日、カナダ在住の親友弥太郎ちゃん(仮名・21歳女性)とLINEで話していたときのことです。

たまたま広告で婚活診断なるものを見かけて、やってみたという話題を私が出しました。以下、やり取りのスクショです。

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この人はよくこうやって私が恋愛ができないことを真剣に悩んでいるのを茶化します。

それが嫌だと言うと、「(恋愛に関して)話す相手が間違っている」と言われました。

 

彼女はそんなことを深刻に話すのはしんどいだけ、別に一生彼氏なんてできなくてもいいという人です。一方私はしんどくても(しんどいからこそ)度々問題提起しないと、この先ずっと彼氏ができないのは絶対に嫌という人間。

 

弥太郎は結婚は一切視野になく、「将来はバリバリ働いてイケメンのヒモを飼いたい」と言っています。むしろその清々しさはカッコよく思えるのですが、彼女は決して人の目を気にしないタイプではない。

 

彼氏が欲しいと思うのは、正直いないと周りの反応とか認識がつらいからっていうのが理由のほとんど。という話をすると、「それはわかる」と言われます。

 

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どうやら恋人がいないことで劣等感を感じるのは日本人同士特有の現象のようです。

いや、少なくとも欧米ではそういうことはないらしい。

きちんと根拠があるわけではないけど、信用できる友人の証言なので私はそうなんだろうなと思います。

 

恋バナが強要される空気

 

日本人の女子はとにかくよく恋愛の話をしている。

私が経験した限りでは、外で食事やお茶をしていると近くに座っている二人連れ(or三、四人連れ)の女子の話題はほぼ100%恋バナです。(例外はオタク)

カフェはもちろんファミレス、カレー屋、果てはラーメン屋まで…

 

なんでラーメン食べに行ってまで知らん女の恋愛事情なんぞ聞かされなあかんのや!!

 

カウンターだから隣の人の話はよく聞こえてしまう。

まあそれは置いといて、彼女らの脳は恋愛以外に1ミリも隙が無いのだろうか?と疑ってしまうほどです。

先ほど例外はオタクと書きましたが、日本の女は恋愛脳女子とオタク女子に二分されるのではと半ば本気で思います。

 

私は人の恋愛の話とか聞きたくないし、人の話それ自体よりも、人が恋バナをすると絶対に「あなたはどうなの?」と自分の番が回ってくるので、それが何より嫌で自分からは絶対に恋バナは振りません。向こうが惚気たがっていても無視します。(嫌な奴だな自分とは思いつつも)

でも、前述のとおり日本人女子のほとんどは当たり前のように恋バナするので、ずっとしないでいると不自然だし避けているのがバレそうで、そういうのが本当に息苦しい。

誰かと初めて遊びに行くときは、いつもそのことを考えては憂鬱になります。

 

一方カナダでは、恋バナは今まさにラブラブで話を聞いてほしいときとか、失恋したタイミングとか、タイムリーなときだけするもので普段はそこまで話題に上らないらしいです。ましてや、「今まではどうだったの?」といった恋愛遍歴に関する無神経な質問はされないらしい。これはマジで羨ましい。

 

自虐ネタがネタとして通じ、かつ否定されない空気

 

ツイッターにクソ女処刑botというアカウントがありますが、ああいうのに顕著なように、ちょっとした身体的特徴なんかを重箱の隅を突くようにあげつらってすぐ人をカテゴライズする風潮ってありますよね。

あそこまで細かくなくても、たぶん誰もが「自分はこのくらいの立ち位置」って値踏みされたり自ら分類していたりする。そしてそこに欠点があると自分からそれをネタにする。当たり前のようにしてしまうんですよね。そしてそれをしたところで人はネタを否定してはくれない。

 

でも、海外では自虐ってネタではないらしい。

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なんかね、ホストマザーのこの言葉は、日本人の社交辞令同然のフォローとはもう全く違う性質のものなんだって、文章読んだだけで伝わりました。

というか他の事例も知っていたからかな?

アリアナ・グランデハリセンボンの春菜に「あなたはシュレックなんかじゃないわ、あなたはキュートよ」って言ったエピソードとかも、これと同じなんだろうな。

 

彼らは人間のありのままの美しさを受け入れているんだと思います。だからこういう言葉をさらっと人に言えるんだろうな。

そういうものの見方が自然とされているとは、なんて良い国だろう…とか安直に思ってしまいましたw

 

根強い集団意識

 

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そうなのよ。

なんで彼氏がいないことで劣等感とか感じなきゃいけないわけ?

なんでいないと見下されないといけないわけ?

これで「お前が自意識過剰なだけ」「他人の目なんか気にするな」

とか言う人がいたら、「お前それ日本でも同じこと言えんの」って返すわ。

いや日本で言ってるんだけどね。

 

それからもう一ついうと、

恋愛経験が少なそうだとすぐにLGBTに結び付けるのは本当にやめてほしい。

こういうこと言うとすぐ「差別だ!」ってポリコレ棒振り回してくる人がいそうだけど、私は差別はしていないし、LGBT差別意識はないつもりです。

 

そうじゃなくて、そうやって判断してくる側が

「いくらモテなくても彼氏がいないなんておかしい。やむを得ない事情があるんじゃないの?レズだったりとか…なるほど!だから異性が恋愛対象にならないだけなのね」

っていう思考をするからムカつくんだ。

いやモテないだけだわ!悪かったなモテなくて!

 

村田沙耶香さんのコンビニ人間から引用させてもらうと、こういうことだ

 

性経験はないものの、自分のセクシャリティを特に意識したこともない私は、性に無頓着なだけで、特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。

 

私は性に無頓着ではないしコンビニ人間の主人公とは境遇は違うけど、このシーンはかなり共感しました。

ここまでつらつらと綴ってきましたが、「結局モテない奴の負け犬の遠吠えだろw」と思われる方も多いことでしょう。

せめてものふぁっきゅーです

 

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Fuck off people who don`t understand me

 

海外ではそんな空気がスタンダードらしいですよ、弥太郎曰く。

 

私と同じことで悩んでいる皆さん。

 

これを読んで少し気を楽にして下さい。劣等感で悩まなくたっていいんです。

「海外に出て、日本でずーーっと感じてた息苦しさを感じなくなったのはまじ」

と彼女は言っていました。

 

どうしても息苦しさに耐えられなくなったら、

海外進出ありなんじゃね?

そんなことを頭の隅にでも置いて生活してみるのはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち(ネタバレあり)

昨日、ツイッターで映画好きがトレンドに入っていた。

私は月3回くらいは映画館に行って、ネットフリックスを課金契約しているので、まあまあ映画好きと言ってもいいのではなかろうか。

 

昨日はミス・ペレグリンをふらりと観に行った。やっぱり映画は何かの帰りにふらっと行くのが一番だ。

 

面白かった。ここ二年くらいで、一番入り込めたといっても過言ではないくらい没頭して観られたと思う。

 

ていうか、ティム・バートン、いいじゃん。

ティム・バートンといえば、ナイトメア・ビフォアクリスマスの?不気味おしゃれみたいな人でしょ?程度の認識しか無かった。

どうして今まで観てこなかったんだろう。

レトロでアンティークで不気味だけどセンス良くて、この世界観嫌いなわけがない。

 

だってそもそも、バートンが今回の映画は古い怪しげな写真から想像を膨らませて作ったっていう、その元の写真の画像、私持ってたもの。

三年前に「不気味」っていうフォルダ作ってそういう類の集めてた。

白目の人間とか、双子のモデルの画像。

だから、テレビでバートンがインタビューされてたとき、「それ知ってるよー」って、無名のインディーズ時代にファンだったバンドがメジャーでブレイクしたときと同じ気持ちになった。(まあ三年前に集めてた画像も、たぶんplginrt-projectかWIRED.jpだったかで紹介されてたやつだから、既に当時から有名だったかも)

 

それにオカルト大好き人間なので、ホロウが出てきた瞬間

「スレンダーマンだ!」

って思ったよ

 

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スレンダーマン

 

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ホロウ

 

というかこれは確実にモデルになったやつだ。


ホロウ、マジでめちゃくちゃ怖かった。でも怖いからこそ、ホロウが出てくるとすごくわくわくしました。

 

斬新な気まずさ

 

そんな全てが印象の塊みたいな本作でも、印象に残ったシーンはいくつかありました。

 

その一つが、夢を映写できるホレースが上映会をやっているとき。

内容の大半は服のことだけど、予知夢もできて、ジェイクとエマがキスしてるところがありましたね。

あのときはめちゃくちゃ気まずそうだった。見ている私まで気まずくなった。共感性羞恥というやつだろうか。

 

気まずい場面って、だいたいがあるあるだよねーっていうシチュエーションじゃないですか。でも、「能力者に自分がキスしている予知夢を映写されてしまって気まずい」って、ありえないシチュだし、

「こないだ予知夢の能力者の子にさー、私がキスしてるとこ映されちゃって。しかも相手隣にいるし!ヤバくない?」とか言われても、斬新すぎて「お、おう」ってなりそうだな、と思ったらなんだかめちゃくちゃ笑えた。

 

ホレース繋がりでもう一ついうと、クライマックスに近いところでバロンが逃走しそうになったときに子供たちがわりとみんなボロボロで、「誰か止めて!」っていう状況で近くにいたホレースがバロンに立ち塞がり、健気に目のライトを浴びせていたのも結構面白かった。

バロンが最初こそ目があああみたいな感じで眩しそうに「うおおおお」って言ってたけど、眩しいだけやんって気づいて大爆笑してるもんだから。

 

アクションゲーム感溢れる戦闘シーン

 

ウェールズの遊園地にて、子供たちvsワイトら 工夫を凝らした作戦で戦い抜き子供たちは見事勝利を収める。

 

これは見ていてとても楽しかったです。ダンスミュージック風の遊園地のBGM(映画の中で実際に流れてる類の)がそのまま展開されて戦闘シーンの音楽になってたから、ポップでアップテンポな楽しい雰囲気だった。

 

子供たちはそれぞれ違った攻撃を仕掛けた。小さい子たちは雪玉を投げて見えないホロウの姿を浮かび上がらせたり、イーノックは骸骨を兵にして戦わせてたし、いろんなものが入り乱れていた。

これってアクションゲームにしたら楽しそうだなって思った。誰の視点で戦っても良さそう。ジェイクになって弓矢担当でもいいし、イーノックにして骸骨を操縦するのもいい。

この映画自体、RPG向けかもしれない。どこどこのループが閉じる前に、異能者たちをホロウから助け出せ!

 

強烈にダサい東京のプリクラ

 

最後はなんといっても、ループの入り口の一つとして登場した東京のプリクラでしょう。あれはめちゃくちゃダサかったww

筐体の外見からしてダサいし、ジェイクがループに入った後に出てきたプリに、強烈にダサいフォントで

 「遊び」って印字されてのが面白すぎて笑いが止まらなかった。


日本ってこんな感じっしょ?って欧米の人たちが適当にデザインした日本のものって、本当に面白い。

 

私はNicki MinajのThe Night Is Still Youngを思い出した。

 

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世代ブティックってなんやねんw

 

それから

 

イーノックとオリーブは幸せになってよかった。

エマは顔がかなり菊地亜美だなって感じた。