うろうろ日記

つまらないので読まない方がいいと思います

インド人をネタにする人たち

最近は嫌ネット感情が強まってほとんどツイッターをやっていなかったのですが、久しぶりに見てたらTLにこんなのが流れていました

 

 

ああ相変わらずだな、ツイッター

(ぶちゃくなるのCMは私もないなと思ってた。全然ぶちゃくないやろ、それ変顔じゃないやろなめとんのか、高畑充希だからいいけど)

 

その関連ツイートにこういうのがありました

 

 

軽快な音楽っていうのは恐らくボリウッドみたいなインド映画の劇中曲のことでしょうね。

インド映画のダンスシーンが面白いとか、もっとあけすけに言えばインド人とかヒンディー語がただそれだけで笑えるっていう気持は、同じ日本人の感覚としてはわかるんですけど。

こうしてネタ扱いするのってはっきり言えば、無意識に、根源的にバカにしてるっていうことですよね。

 

それは違う、言い過ぎだと思われるでしょうか。勿論直接的にコケにしているわけではないですね。「女の子を助けるヒーロー」として登場するわけだし。

でもそういうことじゃないだろ、と思う。

 

  

年末にはこんなツイートも見かけました。

「自分たちがどれだけ根源的にコケにされているか全く自覚できずに英語や英語的な空気を浴びせられることに対して憧れのような感情を抱くタイプの日本人」

いやー、これ私やん!

 

で、「根源的にコケにされる」っていうのはどういうことなのか?カナダに留学した友人(過去記事参照【別にする必要ない】)に「そういうことってある?」って聞いてみたら

 

「あー、あるある。たとえばグループワークの授業で、白人は黒人に対してはライバル意識みたいなのを持ってるんだけど、私には先生みたいな態度で話すの」

 

ですって。

さらに、

 

「大学に行くようなある程度高い文化水準の人たちだから、当然人種差別はしない、いけないことだと認識している」

 

それでもなお、そうして根源的にコケにしていることは態度に出てしまうらしい。

 

インド人をネタにする精神構造ってのはそれと似たようなものなんじゃないかなぁと思う。21世紀の、平成時代(しかも間もなく終わる)でもなお、自分たちは他のアジア人より優越であるという、朝鮮や中国や多くのアジアの国を侵略した頃の認識を心の奥底で保ち続けていると。そういうことでしょう。

 

それを、フェミニズムに厳しい人がやっているとなんだかなぁと思ってしまう。

 

細けーよ!とかこじつけだろ、とか言われるかもしれないな。

 

実際、私自身細かいと思わないこともない。インド映画、笑えるし。

じゃあ一体何をすれば笑いを取れるのか。最近のメディアやお笑いに対するネットの厳しい目…ゲイネタはダメ、女性に配慮もないものもダメ

何かをバカにしてネタにすることが許されないなら、何をすれば笑えるのか?

わかんないっす。

多かれ少なかれ、面白いものってほとんど何かをネタにして(犠牲にして)いるんじゃないか?そうでないものは何か?

 

………

 

話が大きくなりそうなので、あまりよく書けたとは思えずモヤモヤするけれどもここらで筆を置くことにします。

 

余談ですが、久しぶりにツイッターを開いたらやけに通知が来ていて、一体なんだろうと訝しんだら、フォローしている人の多くがいいねしたツイートが自分の通知にくるっていうクソ新機能が追加されたみたいですね。

ああ、ツイッターはどこへいこうとしているのか。

読書記録:僕のつくった怪物

雑な感想です。読後すぐどこかに書いておきたい。適当に重箱の隅を突いたり褒めたりします。ネタバレありというかネタバレありき。

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Arknoahという乙一の子ども向け(ヤングアダルト?)ファンタジー小説の第一巻。

世界観の設定がめっちゃツボで面白かった。

 

分厚めのハードカバーだけど、私はけっこう本を読むのが早いので、昨日の夜読み始めてさっき読み終えました。

図書館でまとめて六冊借りてた本たちを、ここしばらくなんだかんだ読む時間が取れず延滞しっぱなしだったので数日でえいやっと片づけています。これもその内の一つです。残るはあと一冊。原武史の「昭和天皇」。

 

僕のつくった怪物に話を戻すと、ざっとあらすじはアールとグレイという兄弟が亡き父親の残したArknoahという絵本の世界と同じらしきところに迷い込んで、脱出するために冒険するというもの。

外の世界の人間がArknoahに入ると、その人の心が生み出した怪物がArknoahに現れて世界を蹂躙する。その人と怪物は見えない繋がりがあり、怪物を殺さないとその人は元の世界に戻れない。

 

何はともあれArknoahの世界設定がめちゃんこ素敵なんです。Arknoahは全体が大きな(とてつもなく大きな)建物で、沢山の階層の中に大小の無数の部屋が収まっています。部屋の中に山や川や森といった自然があり、街がある。太陽や星は無く、大きな(それはもう大きな)照明がその代わり。照明は毎日決まった時間に消灯と点灯を繰り返します。

国家の概念は無く、いってみれば部屋の違いが国の違いみたいなものなのかもしれない。それぞれの部屋の名称がまた心をくすぐるんですよね(何心をだ)

【冷蔵庫峠】、【もどかしい階段の丘】、【テーブルクロスの森】、【図書館岬】などなど…

世界が巨大な一つの家屋だから、地名も家具とか家の中にあるもので構成されてるわけです。素敵。

なんか、子供の頃想像で書いた物語みたいな無邪気さを感じる。というか、私も昔こういう物語を書こうとしていたよなっていうのを思い出した。あと、他にも何かに似てるなと思ったんですけど、三崎亜記の作品だ。(となり町戦争が有名な人)「鼓笛隊の襲来」とか。

書いてて絶対楽しかっただろうな。羨ましい。

部屋の中の描写も素敵です。たとえば【水没ピアノ船着き場】はこんな感じ

 

部屋の果てが見えないほど巨大でうす暗い音楽室をおもわせる空間に大量の水がたまっている。(中略)部屋はうす暗いが、蒸気船に照明が設置されていた。船縁からのぞくと、水の底に沈んでいる無数のピアノが見える。魚たちが白と黒の鍵盤の上を泳いでいた。 

 

さぞや絵になる光景でしょう。創造主は良いセンスしてるなぁ。

そうそう、Arknoahには創造主がいるのです。外の世界とは違って、宗教ではなくArknoahの住人全てがその存在を信じるまでもなく実感している。他の人間に紛れて普通に生活しているらしく、目撃情報もあるとか。

Arknoahの住人は、世界の始まりから今の姿で、ずっと歳をとらず人口は増えもせず減りもせず生き続けています。死はあるものの通過点に過ぎず、死んだ翌日の朝には元の姿で生き返ります。ただし殺人など罪を犯せばその「目覚めの権利」は剥奪され、死んでも永久に生き返れなくなる。そういうこともあって、創造主が実在することは誰も疑わない。創造主がいつも見ているから、誰も犯罪はしないし戦争が起きることもない。だから国をつくって統治する必要も無いし、食べ物は缶詰の形でいくらでも発掘されるから働かなくても生きていける。ユートピアのような世界です。

 

改行が少なくて読みづらいな。

 

世界設定ガバガバでも作ったのは全知全能の神でなく人間だから許されるだろみたいなチート感

創造主とは一体何者なのか。「僕のつくった怪物」ではまだ謎です。

でも読んでれば誰でも想像できるし、たぶん人間でしょうね。外の世界の。

 

Arknoahの技術や時代設定は外の世界でいう20世紀前半~半ばくらい。王道ファンタジーらしく、みんな昔のヨーロッパみたいな古めかしい服を着て、だいたい手動で仕事して、長距離移動には車の代わりに馬車を使う。唯一作中に登場する自動車は昔のクラシックカーです。だから創造主はそれくらいの時代の人ではなかろうか?

 

アシュヴィ兄弟(アールとグレイ)の父親も子供の頃にArknoahに迷い込んだことがあるし、少なくともそれより世代が上の人間であることには間違いない。

 

ベタな予想ですがArknoahは創造主の理想なんだろう。誰も永久には死なないし、食べ物や娯楽物はいくらでも発掘できて働かなくてもいいし、流通している「ペックコイン」という通貨は趣味程度だし…

働かなくていいんなら商店を営んだり郵便配達人がいたりする意味がわからない。いくら趣味っていったって、芸術家やトレジャーハンターを趣味として進んでやるのは理解できるけど、わざわざ働いてくれるわけないじゃん。

 

そして前述のように人々は世界の始まりからずっと同じ姿で生き続けるから、子供はずっと子供で老人はずっと老人、家族構成も創生期から決まっており、母親が身ごもっていれば胎児は成長せず永遠にお腹の中。

だから当然生殖しない、セックスは必要ないし性欲も必要ないはず。

ここでこの一文をご覧下さい。

 

博士といっしょに登場した白衣の女性がビリジアンたちに頭をさげた。亜麻色のふわふわした髪の持ち主で、眼鏡をかけており、美人だった。彼女のおおきな胸に男たちの視線が集中する。

 

バリ性欲あるやんけ!!(ビリジアンってのは屈強な戦士の男たち)

この後もこの女性がビリジアンたちの憧れの的で、隙あらば取り合いされている様子がいちいち出てきます。本当にいちいち出てきます。

じゃあArknoahの人間たちは生殖しないけど純粋に楽しむためだけにセックスするんだろうか。それって、なんか無性にムカつくな。

 うん、なんかわかんないけど無性に腹が立ってくる。

 

要は色々とガバガバ設定なわけです。室内にマグマがあるとか。私は頭が良くないのでそれほど思い当たらないけれども。

でも全部ひっくるめて創造主の思い通り、なわけなのでご都合主義です。なんでも許されます。チートですね。

一人の人間の理想だけでできてるんだから(予想だけど)

 

あと、アールとグレイは名前からして欧米人で、アールの一人称視点で「エンパイアステートビルのような」とか「ニューヨーク(うろ覚え)」などの描写が出てくるからアメリカ人だと思う。

だとしたら他の人間とも英語で喋ってるはずなんだけど、登場人物のルフナという女の子は素性を隠すため「自分のことを僕って呼ぶようにした」らしいのだが、英語だったらできないじゃん。異世界に来た時点で自動的に言語が変わるファンタジーあるあるかな。(あまりにも重箱の隅だけどどうしても言いたかった)

 

だけど、小説の冒頭は本当に翻訳された英米児童文学のような雰囲気が出ていて良かったと思う。

 

 弟とふたりで、写真のなかの嫌いなやつの顔にピンを刺していたら、母がやってきて言った。

 「ひどいことがおきたよ。とってもひどいこと…」

 母についていくと、リビングのテレビで銃撃戦のニュースをやっていた。ついさきほど、ここから遠くはなれた町の学校で、生徒が十人以上も銃で殺されたらしい。警察と撃ちあいになって射殺された犯人は、まだ十二歳の少年だったそうだ。

 「アールとおなじ歳だね」

 弟のグレイ・アシュヴィが、世をすねたような卑屈な目で僕を見上げる。テレビ画面には、たくさんのパトカーと、救急車と、泣いている子どもたちの顔が映っていた。

 「うちの学校だったらよかったのにな」と、グレイが言った。

 数日間、テレビのニュースはその話題でもちきりだった。少年がクラスメイトを撃ち殺した拳銃は、彼の父親のものだったらしい。父親のクローゼットにかくしてあった拳銃を発見し、少年は、自分をいじめたクラスメイトたちを殺すことに決めたという。

 

 こうして読み返してみると、英米児童文学っぽい雰囲気というのは学校で起きた銃撃戦に担保されてたのかも…少年が父親のクローゼットから見つけたっていうのと。そんなん、まずアメリカしか無いよね。

 

それにしても全体的にツボだし面白いし、乙一さんと友達になりたいと思いました。アールグレイ、一番好きな紅茶だし。絶対気が合いそう。他には「失はれる物語」と「暗いところで待ち合わせ」(表紙が不気味)しか読んだことがないのですが、その時点でも絶対気合うと思ってました。同じこと思ってるサブカル崩れパーソンが五万人くらいいるんだろうな。

 

では、ここいらで失礼します。

 

どうでもいい垂れ流し感想文にお付き合い頂きありがとうございました。